うめぼしと鰻 連載第9回
気づいてみればもう11月も終わる今日この頃。
最後に更新したのが7月の終わり。
人間の脳は、何もしなければサボるようにできているらしい。
ということの良い例がこれなのか。
今日は「忘れる」ということについて。
正確には記憶の塗り替えについて書こうと思う。
忘れることに関しては、4か月も更新を放置していたことが十分なマクラとして機能しているはず。
それはさておき、僕が小学校1年生のころ。
曖昧な記憶というか、ほぼ自分の中では確実な記憶がある。
でもなぜ曖昧かというと「あり得ない記憶」だからだ。
学校から帰って来て、ランドセルを置き、外に遊びに行こうとしていたときだった。
道の向こうから、下の階に住んでいる中学生の女の子と一緒に、むちゃくちゃ小顔の女の子が歩いてきた。
「こんにちは」と挨拶して気づいたのだが、なんとその小顔ちゃんは安達祐実ちゃんだったのだ!!
そのあとどういう行動をとったのかは覚えていないが、とりあえずいったん帰宅して母親に今見たものを報告。
とまぁこれが自分の記憶の断片である。
こんなことがあり得るのだろうか。ということを検証してみた。
1.どうやら僕が小学校1年の頃、安達祐実ちゃんは中学校1年くらいらしい。
2.なんと、下の階の女の子は安達祐実ちゃんと中学生の同級生らしい。
こうなると完全に記憶が真実である可能性が濃厚になってきた。
しかし、これらの情報を先に知っていて安達祐実ちゃんとの遭遇の記憶がねつ造されたものだとしたら。
でもそんな見栄を張る必要が果たしてあるのか。
不思議なのが、他人に話せば話すほど記憶が固まっていっている気がすることだ。
たぶんこの話は当時はいろんなところでしゃべっていたと思うのだけど、しばらく忘れていたと思う。
で、いざ久しぶりに話してみたら、以前より鮮明な記憶となって口から出てくるのだ。
ここで記憶の塗り替えが起こったのか、本当にあったことなのかは確かめようがない。
真実を知っているとすれば、下の階に住んでいた女の子と…安達祐実ちゃん、だけだ。
しゃべることで記憶が整理されることは確かだけど、ウソの記憶を作り出すこともできるのかなと思った。
今のうちにウソの記憶を作って、ずっと語り続ければ幸せな未来を過ごせるのかも。
では、おやすみなさい。まだ寝ないけどね。